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変わりゆく都心部の駅 [駅]

東京オリンピック開催を契機に今、山手線の渋谷駅、高輪ゲートウェイ駅の工事が急ピッチで進んでいるが、この他にも都心部の駅ではいくつか改良工事が進行中だ。

まずは原宿駅、正月の多客時のみ使用だった臨時ホームを改装して外回り専用ホームとする。隣りの渋谷駅と同様なホーム配置となる。もうだいぶ以前から表参道や竹下通りが観光地化し休日は大混雑だったから、何故臨時ホームを活用しないのかと疑問を感じていたが漸く動き始めた。

千駄ヶ谷駅臨時ホームの復活。前回のオリンピックの時に造られ、そのホーム跡が長期間野晒にされていたものが改装される。一部の基礎部分は昔のものを使用するとのことで今度は下り線専用の常時使用となる。打ち捨てられた廃墟は半世紀以上もこの日が来るのを待っていたのだ。

飯田橋駅のホームは200メートルほど新宿寄りに移設される。現在のホームはカーブ上にあるため車両とホームの隙間が大きく空いて転落事故が多発、大変危険だった。もうだいぶ長い間使われていなかった下り方の引き上げ線跡に新ホームを建設中。ここは旧牛込駅の跡地で1928(昭和3)年に旧飯田町駅と統合されて飯田橋駅になった経緯があるから90年以上の時を経て元の位置へ戻ることになる。飯田町駅はとうの昔に貨物駅になり今では高層ビルに変わった。

御茶ノ水駅も駅舎の大改造中で中央線ホームは延長されて将来の快速電車グリーン車増結時の12両編成対応となる。バリアフリーのエレベーターは来年1月より供用開始とのこと。東西が人工地盤で結ばれて白亜の殿堂が完成するとこのあたりの景観も様変わりするだろうがそれはあと5年先の話。
タグ: 都心
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ゲートウェイにヒルズ [鉄道一般]

都心にできる新駅の名前が相次いで発表された。
ひとつはJR山手線(正式には東海道本線)「高輪ゲートウェイ」もう一つは地下鉄日比谷線「虎の門ヒルズ」。両方ともカタカナが混じる。

巷では実体のない「ゲートウェイ」は不評で、同名の施設がある「ヒルズ」は好評のようだが両方とも何だかな~。いまいちピンとこない駅名のように思うが素直に公募第1位の「高輪」ではダメなのだろうか。

高輪駅はその昔、京浜電車(今の京浜急行)に存在したが紆余曲折の後現在の品川駅に落ち着いた経緯がある。これの二番煎じを嫌ったのか。高輪を冠する駅が既にあるからか。

公募では芝浜が第3位だったが落語とは違って「夢になっちまった」ようだ。明治時代、東海道線開通当時は現在山手線が走っているところが波打ち際だったが東京湾の埋め立てが進み浜は跡形もなくなった。

それにしても「ゲートウェイ」とはいったい何ぞや?

名前の由来をどうのこうの説明しているようだがイマイチ説得力ないな~。鉄道施設跡地の再開発地区がゲートウェイタウンとかいう名前にでもなるんだろうか。
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座りたければ金払え! [鉄道一般]

と言わんばかりにこの頃の流行なのか大手私鉄各社で通勤電車の有料着席車が相次いで導入されている。どこか一社が成功すると雨後の竹の子の如く・・・。余程儲かるのだろうか。

今度東急大井町線にも有料着席車が登場する。大井町からニコタマや溝の口までじゃ乗ったらすぐ終点じゃないか~、と思っていたら長津田まで直通するのね。それにしても料金400円はちと高いように思う。

来春からは関西の新快速にも有料着席が導入されるようだが、以前関空快速で失敗し空気輸送などと揶揄されたことがある。吝嗇、否、合理的な人が多いと聞く関西で二度目のチャレンジはうまくいくのか。

イイ事考えた。全列車の半数を有料着席車にしてしまえばもっと儲かるんじゃなかろうか。その分普通座席車が余計混雑するから皆が有料着席車へ殺到する!!なんてね。高いキップを売った分顰蹙を買うことになるだろうな。
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窪地の探検 [探索]

台地と呼ばれるところにも案外凸凹があって都市化されても元の地形はそのまま残る場合が多いが、国土地理院の2万5千の地図などの場合、住宅街はハッチングで表示され等高線は殆ど表示されず地面の高低差が分からない。

どうしても地面の凸凹が知りたいと思いネットで見つけたのがカシミール3Dというフリーソフトで、国土地理院の地図の標高データが色によって可視化できる。尺度も変えられ、通常の地図とレイヤーで合成し、その明度比率も調整できるちょっとしたグラフィックソフトなのだ。

さて、ここからが本題。
この地図を眺めていて面白いものを見つけた。川もないのにクレーターの様に窪んだ地形があるではないか。こういう場所をスリバチというらしく、スリバチ学会なる趣味団体も存在する。
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作成した画像、中央の窪んだところが平安窪

小平市は武蔵野台地にあり付近にはこうした窪地がいくつか点在するが、その中でも規模の大きい平安窪というところへ行ってみた。小平市役所の裏手のあたりで一橋学園駅の商店街を北へ進むと下り坂があってその底が平安窪だ。周囲との高低差は3メートルくらいだろうか家の二階ほどある。近くには平安窪通りという通りまであるから面白い。
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平安窪底部から見た坂道

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平安窪通りの標識

すぐ脇を西武多摩湖線が通るが、国分寺から北へ直線的に進んできた線路が一橋学園駅の少し先で不自然に左へカーブしている。線路の設計者が平安窪を避けたのだ。これは地図で見ると良く分かって興味深い。

こうした窪地は地下水脈の出口で大雨が降ると翌日あたりには水溜りとなり、その後何日も水が引かないこともあったそうだが、これは昔の話で現在は下水道が整備されたのでそのようなことはないそうだ。実際その場所へ行ってみると晴れた日でも何となく湿り気や水の匂いを感じることがあるのは気のせいでもあるまい。

平安窪から流れ出る川はないが、ここからほど近い小平霊園内にある「さいかち窪」は黒目川の水源、そのすぐ近くの「オオカミ窪」は出水川の水源でいずれも荒川へ注ぐ。
「オオカミ窪」は昭和初期、西武線開通時に線路を築堤で横切る構造にしたため水脈を堰き止めてしまい雨が降る度に水が出て大変だったという。しかもそこは西武鉄道が開発した分譲住宅地だというから皮肉なものだ。後に築堤にトンネルが掘られて水の出口が出来、戦後下水道が整備されて漸く水問題は解消したという。
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西武線の築堤、トンネルの向こうがオオカミ窪、手前側、ここから出水川の暗渠が続く。
左は小平霊園の裏口、右へ行くと久米川駅

東京の都心部にもいくつもの窪地があるが、その底には神社があったり、墓地だったりする。あまり良い場所ではないことは確かだ。以前その墓地のある底地で道に迷ったことがある。そうした場所の周囲は再開発で高層ビルが林立し底地との高低差を余計に強調し殊更陰鬱な場所にしている。
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小平市の二つの廃駅 [大手民鉄]

新宿から西武線で30分程乗ると小平という町に着く。
かつてこの地には現在の小平駅を挟んで西と東に本小平(もとこだいら)駅と東小平駅という二つの駅があった。

●本小平駅は多摩湖鉄道の萩山駅から分岐する支線の終端として開業し、現在の小平駅下り方すぐ隣りに設置された。西武線とは踏切のある道路を隔てて徒歩連絡で、両社の確執があってこのような形になったという。
その場所は現在の小平1号踏切と小平2号踏切の間と推測されるがその痕跡は全くない。現在の拝島線の線路のある辺りだろうか。google mapで検索すると「本小平駅跡」の表示が出る。

後に多摩湖鉄道は現在の西武鉄道に吸収されて小平駅も一つに纏まり乗り換えも便利になったが、一支線に過ぎなかった小平へのヒゲ線は拝島線の開業に伴いその一部に組み込まれて大きく変貌を遂げ、分岐点であった萩山駅の位置も分岐方向も変わり名物だったデルタ線も消滅した。

本小平駅:1928(昭和3)年開設、1949(昭和24)年、現小平駅と統合。

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奥が現小平駅と小平1号踏切、右2本が拝島線の線路。:小平2号踏切より撮影

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現在の保線区の場所が旧萩山駅跡。左へカーブすると現萩山駅で正面奥に拝島線の線路、かつては右方へ本小平への線路が伸び一時期デルタ線を形成していた。


●東小平駅は旧西武鉄道時代の西武線と青梅街道の交点付近に設置された駅で公立昭和病院への通院患者の利便を図ったものだ。また戦後の一時期、かの有名な「黄金列車」の取り扱い駅の一つでもあり積み荷!の貯留槽もあったそうだが貨物列車廃止後約1年半で廃駅となった。

余談ながらここは西武線随一の隘路で青梅街道の踏切が鋭角に交わるのを緩和するためにその前後区間が半径300メートルのS字カーブになっていて列車は時速50キロ制限を受ける。折角花小金井から快調に飛ばしてきたのに、あと少しで小平というところで減速を強いられるのだから恨めしい。

東小平駅:1940(昭和15)年開設、1954(昭和29)年廃止。

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草生している所がかつての東小平駅跡。貨物駅も併設され「黄金」が溜め込まれていたという。:青梅街道の踏切より下り方を望む

両駅とも短命に終わった不運な駅だった。時代の変遷とともに駅の改廃は多々あるが、廃止後それ程経たぬうちに武蔵野線新小平駅が誕生した。東京西郊の小さな町、小平は余程駅に縁のある場所なのだろうか。
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路面電車は馬糞の香り? [大手民鉄]

都電の軌間(線路の内側の幅)は4フィート半(シブロク)で、これは別名馬車軌間という。創業当時(明治時代)は馬が小さな客車を牽く馬車鉄道だったのでそう呼ばれる。
しかし流石に1馬力や2馬力では力不足だったようで、また動力源の「落し物」も問題視され、動力は程なく電気に替わった。

東京市内に路線網が拡充すると、郊外に路線を持つ私鉄も都心へ直通を考慮して、路面電車規格の玉川、京成、京王は馬車軌間を採用、標準軌だった京浜も都心直通のため一時馬車軌間に改軌した時期があったが湘南への直通時に元へ戻した。

戦後になって京成は地下鉄と相互乗り入れ時に京浜に合わせ全線を標準機に改軌した。玉川は地下鉄に取って代わり姿を消し、支線の下高井戸(世田谷)線だけが残った。
馬車鉄本家の都電はほぼ全滅。皮肉なことに元は私鉄の王子電車だった区間のみが存続し、荒川線と名が変わった。近頃は桜トラムとか言うようだがピンとこないし誰もそう呼ばない。

創業以来大きな変革のなかった京王だけは路面電車から高速鉄道に変貌した今でも馬車軌間のままで、直通する都営地下鉄もそれに規格を合わせた。
今も残る馬車軌間。新宿駅の地下ホームに馬車が停まったらさぞや面白かろう。香しき落し物は困るけれど。
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小田急線ダイヤ改正に思う [ダイヤ]

3月17日小田急線ダイヤ改正があった。今回の目玉は何と言っても上原、梅ヶ丘間の複々線完成による増便と時間短縮だろう。また、列車種別と運転系統が整理され分かり易くなった。

ロマンスカー「スーパーはこね」も小田原まで長年に亘る悲願の60分をちょっと切る時間で走破する。

今回の改正は手探り状態のようで「一駅だけの謎の列車?」などもあって興味深いのだが、残念に思うことがいくつかある。

そのひとつは昼間の急行が新松田止まりになってしまったことだ。快速急行が主役になり急行が脇役に転じたとはいえ、もう一息で小田原というところでプツリと途切れてハイ終点というのはいかがなものか。

急行は快急の後追い雁行なので唐木田行と順番を入れ替えて小田原ローカルとスジをうまく繋げば良さそうに思う。同方向へ2本続行というのは解せぬ。

もう一つは地下鉄直通準急で、10分毎の各停に挟まれ毎時3本が緩行線を走り経堂以西成城学園まで各停だ。夕方以降成城止まりがあるが中途半端ではないのか。どうせなら向ヶ丘まで行ってはどうか。線路は空いているはずだ。

また、緩行線に優等列車を入れ、ホームドア未設置のところを高速で通過するのは危険ではないのか。

ともあれ、新宿から乗らないと絶対に座れなかった大野分割時代の急行列車の混雑を思えば隔世の感あり。
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西武多摩湖線のダイヤ [大手民鉄]

その末端部、萩山・西武遊園地(多摩湖)間の昼間のひとときは片道20分毎。同じ電車が往ったり来たりするだけ。これは50年前と変わっていない。支線のそのまた支線みたいな線だし客も1両で足りる位しかいない。
終点が近接する西武園線も同様に昼間1時間3本。ともに4両編成では過剰投資だが他に使える車両がなく致し方なし。多摩湖線、多摩川線に至っては最古参の車両が老骨に鞭打って走っている。

今から50年ほど前の西武の多摩川線と所沢近傍の短距離支線群は全て昼間20分毎の運転で、戦前の国電中古車の2両編成がのんびり走っていた。客も疎らで沿線は田園そのもので住宅街などなく「武蔵野」が延々と広がっていた。アニメ映画「となりのトトロ」にその様子が描かれている。

今では建売住宅が跋扈して広大な武蔵野も随分と肩身が狭くなったものだ。
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伊豆箱根塗色の101系電車
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赤電色に思う [大手民鉄]

西武多摩川線(当時は多摩鉄道)開通100周年記念で101系247Fが赤電色になった。

多数のリクエストがあったと聞くが赤電の時代は比較的長かったし、あの頃は多数の形式があったので人気があるのだろう。しかしこの色、往時の色とは少しニュアンスが違うように思う。光線の加減かも知れないが赤が少し明るい。また、窓上の細帯は心持ち太い。801系や411系(後期)の帯は在来形式の雨樋と同様の太さだったように記憶するが、今風赤電と言うことでこれはこれで良いのかもしれない。

しかしどうにも鉄仮面にはブラックフェイス以外は合わないように思う。窓が大きく明快なデザインにこそこの塗り分けは似合うように感じるのだが。
赤電
(昨年末に八坂駅で撮影)

さて、この塗色が最初出たのは1960年頃だっただろうか。当時はこれが「新塗装」で1964東京五輪の時には全車赤電になっていた筈だ。元々は旧西武鉄道の色だった旧塗装(茶黄電)を見慣れた目からすれば随分大胆な配色だと感じた。

当初501系など湘南タイプの形式の前頭部上部のおでこ部分は鼠色に赤の細帯、通称ネズでこだった。701系から赤でこになって以後全形式に波及した。また701系の試験塗装では前頭腰部の赤は真ん中がV字に切れ込んでいた。

その後101系で黄色(と言ってもレモン色だが)が先祖返りしたかのように復活したのには驚いた。暫くは黄色の時代が続き、これが定着したかのようだったが銀電の時代になってからは青基調にっなって現在に至っている。

赤電全盛期には釣り掛け式モーターを唸らせていた西武電車も、今ではVVVFの音を響かせて疾走する。畑と雑木林ばかりだった武蔵野の風景もあの頃とはだいぶ変わった。
タグ:西武 赤電
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ロマンスカーの野望 [大手民鉄]

ロマンスカーの野望

ロマンスカーといえば今や小田急の代名詞と言っていいだろう。そのロマンスカーが今春のダイヤ改正で新宿、小田原間60分到達という、70年越しの悲願を達成する。「スーパーはこね号」が59分で走破するのだ。

これも代々木上原、登戸間複々線完成の恩恵で、この区間で約10分短縮できるからだ。複線の稠密ダイヤでは優等列車が普通列車に挟まれて並行ダイヤにならざるを得ず時間短縮は困難だったがそれが一挙に解消する。

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今から60年以上も前、初期のロマンスカーSE車は低重心構造連接式でスピードアップを図った。これは動力方式は違えどフランスの超特急TGVなどが今でも採用している方式で、恐らく急カーブの続く本厚木、新松田間の「山区間」でのスピードアップを目論んでいたものと思う。

この方式はその後登場したNSE車、LSE車にも引き継がれたが、HiSE車では当時流行したハイデッカー構造を取り入れ低重心ではなくなってしまった。この時点で車両の構造によるスピードアップは諦めたように思う。将来の複々線化による効果を既に見据えていたのかも知れない。

さらに後、特急車の形式番号が5桁になってからは連接構造も止めてEXE車、MSE車と平凡な着席通勤特急車が増備された。旺盛な通勤需要を優先させるため「ロマンス」どころではなくなったのだろう。唯一御殿場直通のRSE車だけは観光を意識して二階建て車を挟んだ。Rはリゾートの頭文字なのだから。

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ところが近年になってVSE車の登場で連接式が復活し味気なくなっていた特急車に喝を入れた。この時期ロマンスカーの人気が凋落低迷していたものと推測される。これが増備されるかと思いきや今度はGSE車なる新顔が特急の時間短縮をアピールするが如く鮮やかな真紅の車体で登場した。

連接式を採用しなかったのは最早車両によるスピードアップの必要性が無くなったからだろう。皮肉な結果ではあるが矢張り複々線化の効果は絶大で長期に亘る小田急の夢、小田原60分が21世紀に入り漸く実現することとなった。
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